真田氏ゆかりの地散策上州篇(下)
後閑駅をあとにして、次なる目的地、沼田へ。沼田も武田・北条の境目の地域として争いの絶えなかった地で、後に真田昌幸が攻略してその子信幸(信之)が領し、松代を拝領した信之が嫡男の信吉に与えた領地です。
そんなわけで沼田とうつき。つか後閑から一つ渋川側に戻っただけですが^^;
沼田城は利根川と薄根川の合流点の東北、河岸段丘の丘上に築かれた典型的な崖城であったため、また急勾配な坂を登っていかなければいけません……。まあ舗装されている道路なので、さほど苦ではなかったですが。
沼田城は5代目信利の改易にともない、沼田城は幕府の命によって完全破却され、その後主だった復興作業も行われなかったため、ほとんど影も形も残っていません。現在は本丸付近が沼田公園として整備されています。
本丸西櫓台虎口の石垣と石段。真田昌幸が改修したものと考えられる、沼田城址の数少ない遺構です。
河岸段丘の丘上の崖城だけあって、眺めは抜群でした♪
真田信之が統治していた頃は、関東において江戸城以外に五重の天守閣を持つ唯一の城だっただけに、天守閣が復元されなかったことは残念でなりません……。しかも金箔瓦まで使われていた特別な城とあってはなおさらです。それが県指定どころか、沼田市指定史跡でしか無いとは……。
沼田城址をあとにし、本来なら信吉の墓所がある天桂寺に行ってみたかったのですが、iPhoneの電池はすでになく、二つ持ってきたはずの充電池はなぜかどちらも充電が不十分、これじゃGPSが使えない…せめて案内板さえあれば……っ、といったところで少し息も上がって苦しくなってきたので、無念だけど引き返すか……と思ったらその後に行こうとしていた正覚寺への案内板を見つけたので、少し無理して正覚寺へ。少し歩いたら息苦しさもなくなりましたが^^;
ここには本多忠勝の娘であり、真田信之の正妻である小松殿の墓所があります。
時間的にちょっと逆光気味ですが。
小松殿といえば、関ヶ原の戦いの時に沼田城の接収を試みた敵方の真田昌幸を、信之不在の沼田城を守っていた小松殿が、門前で追い返したという逸話があまりにも有名です。その後小松殿は、舅である昌幸にこの寺を宿泊場所として提供し、四人の子供(昌幸にとっては孫)に引きあわせたらしいですが。
また真田昌幸の重臣で名胡桃城代の鈴木主水重則が、北条方の沼田城代・猪俣邦憲の謀り事により名胡桃城を乗っ取られたことを恥じて、この寺で切腹したとも言われていて、墓所の一角に鈴木主水のものと伝えられる墓があるそうです。……見つけられませんでしたが。
このあと戸鹿野八幡宮にも行きたかったのですが、少し離れた場所にある上にGPSが使えないとあっては万事休す(地図は持っていましたが)。沼田駅に戻って近くの温泉施設にでも行こうかと思ったのですが、そちらもパスして、特急みなかみ号で大宮まで引き返してきました。
やはり思った以上に体力が衰えてる模様……。でもこれからもウォーキングを中心に、いろいろな城跡や古戦場を巡っていきたいと思います。とりあえず次回は上田真田郷・塩田・別所・松代を廻る予定ですが、いずれ姉川古戦場・賤ヶ岳古戦場・小谷城跡・長浜などの北近江や、岩櫃などに行ってみたいです♪