2010年旅行記(秋)

まだまだ続く2010年旅行記。このへんからはてなブログを始めているので、このブログの過去日記に当時の日記や写真が残っています。


【9月4日】
・諏訪高島城
・全国新作花火競技大会(JR中央本線特急あずにゃん諏訪駅
諏訪湖では8月15日の諏訪湖祭湖上花火大会と、9月4日の全国新作花火競技大会と、二回花火大会がありますが、両方共観賞するのは今回が初めて。この時の同行者はちなつさんとありあさん。
まずは特急あずにゃんで上諏訪まで行き、諏訪高島城を見学して、片倉館の千人風呂に浸かってから、花火大会会場へ。この日は3年連続4回目にして初めて初めての湖畔有料自由席からの観賞。
さすがに間近で見る諏訪湖の花火&目前で繰り広げられる水上スターマインの迫力は凄まじかったです。



【10月10日】
柴又帝釈天
矢切の渡し
東京スカイツリー
浅草寺
第一回東京散策ぼっちオフ。

【10月16日】
・名胡桃城(JR上越線後閑駅)
名胡桃城は、天正17年(1589)7月、豊臣秀吉の裁定で真田領となったものの、この裁定を不服とした北条方の沼田城代猪俣邦憲が攻撃、不法占拠してしまい、この結果、秀吉がこれに激怒して北条方に宣戦布告。これが世に言う小田原攻めで、結果北条氏は滅亡、秀吉はここに事実上の天下統一を達成しています。日本の歴史の流れを変えるほどのネームバリューを持ったこの城があまりメジャーでないのは、天守閣のない小さな山城だからなのか……


・沼田城(JR上越線沼田駅)
沼田も武田・北条の境目の地域として争いの絶えなかった地で、後に真田昌幸が攻略してその子信幸(信之)が領し、松代を拝領した信之が嫡男の信吉に与えた領地。ちなみに信之は幸村の兄ね。
沼田城は5代目信利の改易にともない、沼田城は幕府の命によって完全破却され、その後主だった復興作業も行われなかったため、ほとんど影も形も残っていません。現在は本丸付近が沼田公園として整備されています。


・正覚寺
本多忠勝の娘で、徳川家康の養女として真田信之の正室となった小松殿の墓所が
あるお寺。
小松殿といえば、関ヶ原の戦いの時に沼田城の接収を試みた敵方の真田昌幸を、信之不在の沼田城を守っていた小松殿が、門前で追い返したという逸話があまりにも有名です。その後小松殿は、舅である昌幸にこの寺を宿泊場所として提供し、四人の子供(昌幸にとっては孫)に引きあわせたらしいですが。
また真田昌幸の重臣で名胡桃城代の鈴木主水重則が、北条方の沼田城代・猪俣邦憲の謀り事により名胡桃城を乗っ取られたことを恥じて、この寺で切腹したとも言われていて、墓所の一角に鈴木主水のものと伝えられる墓があるそうです。


【10月23日】
浜離宮恩賜庭園
・日比谷公園
・江戸城
プチ東京散策。このときは両親と一緒で、浜離宮恩賜庭園から築地に出て晴海通りを銀座方面に一気に日比谷公園まで歩き、その後江戸城まで歩きました。

【11月 7日】
輪王寺輪王寺宝物殿・逍遥園
・日光東照宮・陽明門・奥宮・薬師寺
・日光廟大猷院
・明智平
華厳の滝
・中禅寺湖
 この日の前日にみのもんタウロスが「日光の紅葉は今が見頃」みたいなことを言っていたので、急遽予定を変更して朝早くから電車で日光に紅葉を見に行きました。
当日は中禅寺湖周辺の紅葉がめちゃくちゃキレイでした♪

【11月13日】
・明治神宮
新宿御苑
・明治神宮球場・明治神宮外苑・明治神宮外苑いちょう並木
・江戸城
・日比谷公園
 延びに延びてた第二回東京散策ぼっちオフ。

【11月20日】(長野新幹線上田駅
念願だった信州上田・真田氏ゆかりの地散策2泊3日の初日。まずは真田の地へ。
・砥石・米山城
武田晴信(信玄)が、砥石崩れと称されるほどの大敗を喫した砥石城。ここは本城を中心に、北に枡形城、南に砥石城、南西の独立した別峰に米山城を置き、東側の山麗斜面の内小屋と飯縄城からなる複合城郭です。
超がつくほどの急勾配で、横向きで山を降りたせいか、足の痛みが翌日まで続きました……。山登りに慣れていない人にはオススメしません(私も慣れている方ではありませんが)。特に腐女子、ここはあの武田晴信(信玄)が敗退した山城です。舐めて掛かると大怪我しますよ?


・真田氏発祥の地(真田氏記念公園)
真田三代(幸隆・昌幸・幸村)のレリーフが刻まれた石がある公園。


・真田氏館跡・真田氏歴史館
・真田本城跡


長谷寺
木の門が多い日本では珍しい、六文銭のレリーフが刻まれた巨大な石門があり、その奥には幸隆夫妻と昌幸の墓所があります。

この日は上田のホテルに宿泊。


【11月21日】
信州上田・真田氏ゆかりの地散策二日目。この日は松代から川中島にかけて散策。
・会津比売神社・謙信鞍掛の松・上杉謙信槍先之清水
・妻女山・上杉謙信槍尻之泉
 (長野鉄道屋代線岩野駅)
妻女山は第四回川中島の戦いの時に上杉謙信が陣営を置いたといわれる山で、東に松代の町、西北に千曲川の流れと川中島平一帯を見渡せ、武田方の海津城の動静をうかがうには絶好の場所で、謙信は山麗にある會津比売神社で必勝を祈願し、そこにはその時に乗馬の鞍を掛けたという由緒を秘めた謙信鞍掛の松があり、さらにそのすぐ下には「上杉謙信槍先之清水」と呼ばれる湧き水も流れ出ています。


・松代文武学校・旧樋口家住宅・真田公園・旧真田邸・真田宝物館
松代城海津城
 (長野鉄道屋代線松代駅)
妻女山を下り、歩いて松代方面へ。松代文武学校周辺は狭い範囲ながらも旧い町並みを再現しており、なかなか情緒溢れる場所でした。


・旧小山田家・矢沢家表門・旧松代藩鐘楼
・長国寺
歴代真田家藩主の墓所があるお寺。大名血族の直系が現代まで、同じ墓に葬られている当時大名の血族は全国でも数少ないようです。拝観料を支払うとお寺の方が丁寧に説明してくれますので、ここはぜひ拝観しておくべし。
墓所には歴代真田家藩主初代信之から12代幸治とその子女、真田家中興の祖で信之の祖父にあたる幸隆、叔父信綱、父昌幸、弟幸村、その子大助らの供養塔や碑があり、信之の墓にだけ石の鳥居がある。
ちなみに真田家は現15代目で、大学教授をしているそうな。


川中島典厩寺記念館
典厩というのは武田信玄の実弟・武田典厩信繁のこと。ちなみに真田幸村の本名は真田信繁といい、典厩信繁の知性・武勇に心酔していた真田昌幸が命名したらしい。
ここには第四回川中島の戦いで戦死した武田典厩信繁の墓と、約6mもある日本最大の閻魔大王像があります。


・山本勘助鎮魂之碑・胴合橋
胴合橋は、第四回川中島の戦いで討ち死にした山本勘助の首と胴をつなぎあわせたと言われる橋で、近くに鎮魂碑があります。山本勘助の墓所はまた別の場所にあります。


川中島古戦場
第四回川中島の戦いの主戦場となった八幡原史跡公園の片隅に、信玄・謙信一騎討ちの像や三太刀七太刀之跡の碑などがあり、現地ガイドさんが詳しく説明してくれます。


ちなみに自宅に戻ってから知った話なのですが、第二次世界大戦末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに大本営や政府機関等を松代に移すという計画の下に、舞鶴山・皆神山・象山を掘削していたようで、うち政府機関等などの移転先として掘削が進められた総延長5,853mある象山地下壕は500m分が一般公開されているとか。……誰か今度一緒に見に行きませんか?(チラチラッ


この日は長野市まで行き、長野市のホテルに宿泊しました。


【11月22日】
信州上田・真田氏ゆかりの地散策最終日。
善光寺(JR信越本線長野駅
牛に曳かれて善光寺参り……つか当然歩いて行ったわけですが。さすがに朝早かったせいか、仲見世の店は殆ど閉まってました……みそソフトクリーム食べたかったのに……。


池波正太郎真田太平記館(しなの鉄道上田駅
ここは時代小説を広く大衆化させた作家・池波正太郎の足跡を幅広く紹介し、『真田太平記』の世界を堪能できる資料館になっています。この方のおかげで真田家が脚光を浴びるようになったと言っても過言ではないはず……


上田城・上田市観光会館・上田市立博物館
徳川の大群を二度も退けた、真田昌幸が築いた名城。徳川秀忠が、上田籠城軍の十数倍もの軍勢を率いながら必要もない上田攻めを敢行した結果、真田昌幸や幸村に散々に打ちのめされた挙句に、天下分け目の関ヶ原の合戦に一週間も遅参したことはあまりにも有名。


・生島足島神社(上田電鉄別所線下之郷駅)
「生島大神」と「足島大神」の二柱の神を祀る、全国でも貴重な神社。


・安楽寺・八角三重塔(上田電鉄別所線別所温泉駅)
全国でもここにしかない貴重な木造の八角三重塔。当然国宝指定を受けています。


北向観音
本堂が北を向いていることからその名が付いた。長野の善光寺と向き合っていて、その御利益が一体とされている一大霊場。


・石湯(真田幸村公隠しの湯)
真田幸村公隠しの湯とされる石湯。先日泊まった上田のホテルでここの無料入浴券を貰っていたのですが、150円でした^^; お湯はやや熱め。この日は特に熱かったらしい(43℃くらい?)


【12月4日】
清澄庭園(都営大江戸線東京メトロ半蔵門線清澄白河駅)
・芝増上寺(都営大江戸線大門駅他)
・東京タワー
旧芝離宮恩賜庭園
浜離宮恩賜庭園
・江戸城


【12月12日】
旧古河庭園
六義園
旧岩崎邸庭園
湯島天神