Valentine EVE
「……もうだれも起きてませんよね……?」
音を立てないようにキッチンの引き戸を開けると、真っ暗なキッチンからストーブの余熱が伝わってきた。どうやらさっきまで誰かが起きてたみたいだ。
ボクはそっとキッチンに入ってから引き戸を閉め、明かりをつけた。
♪hm~hm~hm~hm~hm~hm~hm~hm~,hmhmhm~~hmhmhmhmhmhmhmhm~
お兄ちゃんが毎日聴いているせいですっかり歌詞を憶えてしまった曲をハミングしながら、生クリームを入れたおなべを弱火にかけ、その間に冷蔵庫から取り出したチョコレートを細かく刻む。
細かく刻んだチョコレートをおなべに入れて、チョコレートを溶かしながら生クリームと混ぜ合わせ、程よく混ざったところで指にちょこっとチョコを載せて舐めてみる。
「ん~、思ったより苦いカナ……」
どのみち生クリームと混ぜるからと思って一番苦いチョコを買ってきたのが間違いだったみたい。
もうちょっと牛乳入れてみようカナ……
そう思ってボクが冷蔵庫を開けたときだった。
「あれ? 帆乃香、何やってるんだ?」
「あ、お、お兄ちゃん……」
キッチンの引き戸が開いて、そこからお兄ちゃんが顔を覗かせた。こっ、これはちょっとマズいかも……
「ひょっとして眠れないのか?」
「え? あ、うん、ちょっとノドが渇いちゃったから牛乳でも飲もうかと思って」
ボクは手にしていた牛乳を取り出しながらお兄ちゃんに答えた。
「……ふーん……」
お兄ちゃんは目を細めながらボクの肩越しにコンロのほうをチラッと見たケド、口に出しては何も言わなかった。
「じゃあ僕も一杯もらおうかな」
「え? あ、うんっ」
ボクはグラスに牛乳を注いでお兄ちゃんに差し出した。グラスを受け取ったお兄ちゃんが半分ほど牛乳を飲み干してグラスを置き、手の甲で口を拭った。
「ありがと。それじゃあ僕はもう寝るけど、帆乃香も夜更かししないで早く寝ろよ」
「うん。おやすみなさい、お兄ちゃん」
ボクが言うとお兄ちゃんはああ、といってキッチンを出て行った。
「ふぅ~っ……あせった……」
こんな時間に手作りチョコを作っているのがバレて、誰にあげるんだとか訊かれなくてよかった……。でも多分バレバレだったよね。
ふと流し台を見ると、さっきお兄ちゃんが飲み残した牛乳が半分ほど入ったグラスが置かれていた。そしてグラスのふちにはお兄ちゃんが口をつけたあとがうっすらと残っている。
も、もしかしてこれを飲んだらお兄ちゃんと間接キス……?
ボクは少しどきどきしながらグラスを手に取り、お兄ちゃんが口をつけたところに口をつけて残った牛乳を飲もうとした。
「──あ、帆乃香」
ドキィッ!
不意にドア越しにお兄ちゃんの声がしたので、びっくりしてボクはグラスのふちに前歯をぶつけてしまった。
「なっ、何?」
「できれば甘さ控えめでお願いな。それじゃおやすみ」
「う、うん、おやすみなさい」
……なんだ、やっぱりしっかりバレてるんじゃん。誰にあげるのかも。
でもやっぱりボクからのバレンタインチョコ、期待しててくれてるのカナ……? それなら腕によりをかけて味付けしなくちゃねっ。
お兄ちゃん、明日のバレンタイン、期待して待っててね♥
(fin.)