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敵はほんのりしおあじ! (6/1~6/2 信長の足跡をたどる旅二日目)

 織田信長の足跡をたどる旅二日目。この日は本能寺の変当日(旧暦だけど。暦が違うけど。)

 

 

 

 そんなわけで早速本能寺へ。

 

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 さすがに郷ひろみのGOLDFINGER'99を知らない世代が増えたようですね……2年前はこれで結構ふぁぼを稼げたのですが。……ニチアサTLだったからか?

 

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 本能寺で信長展をやっているのを知り、ここにはまた後で来ることに。まだこの先は長いので。

 

 

 そしていよいよ本能寺へ(ぉぃ

 

 そんなわけでこちらが本能寺の変があった当時本能寺があった(とされる)場所。今回初めて来てみました。今は特に何が残っているわけでもありませんが……。

 

 

 そして一旦ホテルに戻りチェックアウトし、再び本能寺へ。目的はもちろん大寳殿宝物展示室に展示されている信長の遺品等を見るため。

 

 二階の展示室は撮影禁止でしたが、一階にあるものは撮影しても良いとの事だったので。

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 つづいて本日のメインである阿弥陀寺へ。

 

 本能寺当日、阿弥陀寺住職だった清玉上人は、既に割腹した信長の遺体を見つけ出して密かに火葬し、白骨を法衣につつんで本能寺の僧徒らが逃げるのにまぎれながら阿弥陀寺に戻り、白骨を深く土中に埋めたとされています。

 

 そして秀吉から、自分が喪主として信長の一周忌を執り行うために信長の遺体を引き渡すように要求された時、それを信長亡き後の織田家の乗っ取りに近い振る舞いである、すなわち継承者争いを勝ち抜くために信長の一周忌を利用しようとする人の道に在らぬ行為であると非難し、その様な者に荷担するわけにはいかないとしてこれを断ったという。

 

 

 本堂裏手の墓所に、織田信長・信忠父子の墓所がありました。

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 そして普段非公開の本堂では織田信長・信忠父子の法要が行われていました。その堂内には織田信長・信忠父子の木像、信長が本能寺で使ったとされる手槍先、羽柴秀吉や明智光秀の書状、後陽成天皇勅額、信長の帰依を受けた開山清玉上人木像等の寺宝が展示されていました。

 

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 それにしてもここまで自由に写真撮影をさせてくれる寺院って……

 

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 帰りに戦国魂京町家本陣に寄り、安土城には寄らずにそのまま帰宅。もったいないけど安土城はまたの機会に行くことにします。

 

【6月2日のつぶやき】→http://twilog.org/psychicer/date-130602