読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

怒涛の5週連続花見6箇所巡り その2の2 (4/5-6  岡崎公園 夜討ち朝駆けお花見)

怒涛の5週連続花見6箇所巡り その2の1 (4/5-6 駿府・岡崎・浜松)から続く)

 静岡を離れ、豊橋経由で岡崎へ。

 

f:id:psychicer:20140405172412j:plain

 乙川沿いからもう満開。これは期待できそうです。

 

f:id:psychicer:20140405173313j:plain

f:id:psychicer:20140405174055j:plain

 岡崎城天守閣。手前の屋根は龍城神社です。

f:id:psychicer:20140405180255j:plain

 

f:id:psychicer:20140503160319j:plain

 殿! お顔がずれてますぞ!

 

 その後、城の内外部を一周。

f:id:psychicer:20140503160447j:plain

 

f:id:psychicer:20140503161219j:plain「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」とまで言わしめた天下無双の大将。

 

f:id:psychicer:20140503161424j:plain

 三方原の戦いで武田信玄の軍勢に惨敗した家康が、浜松城へ逃げ帰った直後に、自戒の念を忘れることの ないように苦渋に満ちた表情を絵師に描かせたとされる肖像画、通称「しかみ像」の石像。

 

 そして岡崎城内にある三河武士のやかた 家康館へ。ここには三河武士の源流から家康の祖松平氏の歴史と家康の75年の一生をテーマ別にし、時代順に展示されていますが、中でも関ヶ原の戦いのジオラマや映像は必見です。

 

 いつものスーパーホテルに一泊して、早朝から再び岡崎城へ。

f:id:psychicer:20140406070630j:plain

 乙川沿いの桜のトンネル

f:id:psychicer:20140503164230j:plain

f:id:psychicer:20140406071534j:plain

 前回来た時は、桜と菜の花の競演が見られたのですが……

f:id:psychicer:20140406071933j:plain

f:id:psychicer:20140406072739j:plain 夜半過ぎの雨で、少し散ってしまってます。f:id:psychicer:20140406073420j:plainf:id:psychicer:20140406074036j:plain

f:id:psychicer:20140406074344j:plain

 

f:id:psychicer:20140406074722j:plain

f:id:psychicer:20140406080925j:plain

 共演、見られました。

 

 その後ホテルに戻ってチェックアウトをし、途中で大樹寺行きのバスに乗って大樹寺へ。

f:id:psychicer:20140503164833j:plain

 

 ここはもともと家康の父祖である松平家菩提寺で、桶狭間の合戦で今川義元織田信長に討たれた時に、大高城から逃げ帰った場所です。そして、先祖の墓の前で自害を図ろうとした家康を思いとどめさせたたのが、この寺の住職十三世登誉上人であり、またこの時に家康は、厭離穢土欣求浄土の教えにより仏教心に目覚めたそうです。

 

 ここも桜が見事でした。f:id:psychicer:20140406092353j:plain

f:id:psychicer:20140406092445j:plain

 

f:id:psychicer:20140406092546j:plain

 

f:id:psychicer:20140406092601j:plain

 松平家菩提樹なので、家康の先祖である松平氏のお墓が再建されています。

f:id:psychicer:20140406092752j:plain

f:id:psychicer:20140406092839j:plain

f:id:psychicer:20140406092900j:plain

 

 そしてここ大樹寺には、初代将軍徳川家康公から、十四代将軍徳川家茂公の、等身大の位牌が安置されています。(十五代将軍徳川慶喜公の位牌は無し) 写真に収められなかったのが残念ではありますが……

 

 ちなみに徳川歴代将軍の中で一番背が高かったのは、二代将軍徳川秀忠公で160cm、逆に一番背が低かったのは、犬公方と呼ばれた五代将軍徳川綱吉公の124cmです(位牌の高さ調べ) 34歳で将軍となり、64歳まで生きた徳川綱吉公が、わずか5歳で将軍となり、8歳で早逝した七代将軍徳川家継公より背が低かったとも思えませんが……。

 

 

※「大樹寺に収められている歴代将軍の位牌は、将軍の身長にあわせて作られている」という俗説があり、綱吉の位牌は124センチであることを根拠に「綱吉は低身長症(軟骨無形成症)だった」とする説があるが、当時の人物評にはそのような記述は存在しないそうです。(Wiki調べ)