甲斐の国に武田の足跡を訪ねる(2/27-2/28) 一日目

 2月27日28日は一泊二日で山梨県内の武田氏に所縁のある地を訪れてきました。

 

 まずは武蔵野線から中央線に乗り換え、高尾で中央本線に乗り継ぎ、武田氏終焉の地、甲斐大和駅へ。

 

 

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甲斐大和駅前の武田勝頼公

 

 駅から日川沿いに歩くこと約20分ほど、武田最期の戦場である鳥居畑の碑が見えてきました。

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鳥居畑古戦場碑

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 温水洋一小山田信茂)の離反によって行き場を失った平岳大武田勝頼)一行は天目山を目指して日川沿いの崖路を進んできたが、織田軍がすでに先回りをしていく手を阻み、一行を待ち伏せていた。そこでやむなく鳥居畑とよばれる所で敵を迎え撃つ支度を整え、今日が最後と覚悟を決めたそうです。

 

 ちなみに下流方向(駅方面)には、以前に勝頼の勘気に触れ追放されたものの、主君の危機に駆けつけてきた小宮山内膳ら数人の一隊が、織田軍の滝川一益段田安則)、川尻秀隆ら四千の大軍を相手に死闘を演じた四朗作(しろうつくり)古戦場の碑もありました。

 

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 上流方面で繰り広げられた、土屋惣蔵(昌恒)の片手千人切りと言われるほどの奮戦も虚しく、勝頼夫人の侍女16名は姫が淵とよばれる所で身を投じ、勝頼と夫人、武田信勝は自害します。

 

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 姫が淵

 

 そして景徳院

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景徳院

 

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黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき 思ひに消ゆる 露の玉の緒  勝頼夫人辞世の句

 

 

 

 早朝だったため、御朱印はもらいそこねました。

 

 

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 甲斐大和駅に戻り、次なる目的地へ。

 

 

 

 

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えんざん

 

 そんなわけで恵林寺のある塩山駅へ。でも駅から恵林寺遠い……思ってたよりバス少ない……

 

 最初タクシーを使おうかと思ったのですが、とりあえずバスがあるのでバスを待ち、恵林寺へ。バスの乗客は私とおばあさん一人でした。

 

 

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心頭滅却すれば火も自ずから涼し

 

 なにはともあれ恵林寺へ。

 

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 入り口で御朱印をいただきました。

 

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 続けて武田信玄宝物館へ。

 

 柳沢家の雛飾りをはじめ、武田二十四将の鎧甲冑、肖像画、風林火山や諏訪法性の軍機など、多くの展示があり、写真撮影したいのを堪えるのに大変でした……

 

 そして土曜日は甲斐の虎武将隊はいないのね……

 

 恵林寺をあとにし、お隣の信玄館へ。何かの資料館かと思ったら、土産等の物産館でした。

 

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お屋形様ァッーー!

 

 甲府にいるはずの信玄公の影武者がいました。

 

 最初はなにか食事でもしようかと思ったのですが、団体が押し寄せてきたことでちょっと引いたのと、食指を動かすメニューがなかったため断念。バスの時間まではあと一時間以上……。

 

 よし、歩こう。

 

 ちうことで塩山駅まで歩くことに。

 

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みんなこういうの好きだね……

 

 そして30分ほど歩き、菅田天神社へ。この神社には武田氏代々の家督のしるしとされている「小桜韋威鎧兜大袖付」通称「楯無鎧」のほか、甲斐源氏の祖・新羅三郎義光以来、武田が受け継いだ重宝が保管されているそうです。

 

 

 ぱっと見小さな神社でしたが、奥行きが広いところでした。ググる先生の案内に従っていたら、神社裏手の狭い路地に案内されてたし。

 

 ちなみに楯無鎧は常時展示はされてないようですね。

 

 塩山駅に戻り、次なる下車駅は酒折駅。ここから歩いて甲斐善光寺へ。

 

 

 甲斐善光寺は、武田信玄川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ御本尊善光寺如来始め諸仏寺宝類を奉遷した寺で、各地の善光寺と区別するため甲斐善光寺と呼ばれています。

 

 

 甲斐善光寺のお戒壇は、「心」という文字を模っているそうです。

 

 もちろん御朱印もいただいてきました。

 

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甲斐善光寺で信玄アイスいただきます。きな粉と黒蜜たっぷり。

 

 甲府といえば信玄アイス。

 

 さらに歩いて東光寺へ。このお寺の裏手にある墓地には、武田氏による諏訪侵攻ののちに甲府へ連行され、この寺で自害した諏訪領主・諏訪頼重の墓所と、謀反の疑いをかけられ幽閉され死去した武田家嫡男・義信の墓所があります。

 

 

 ここまで周囲に溶け込んでいるとは思いませんでしたわ。

 

 帰りは身延線の金手(かねんて)駅まで歩き、いよいよ宿泊地の甲府へ。

 

 まずは御屋形様にごあいさつ。

 

 

 

 お汁粉小豆ほうとうにするか迷いましたけど。

 

おやつに豚そばいただきます。ラー油の効いた日本蕎麦のつけ麺ウマー!

 

 食後、アニメイトなどを経て舞鶴城公園・甲斐府中城へ。

 

 

 甲斐府中城は、武田滅亡後、豊臣政権下で浅野長政らにより築城された城なので、武田氏との直接のつながりはありません。

 

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 近年復元された鉄門

 

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 天守

 

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稲荷櫓

 

 そして線路の向こう側へ。

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f:id:psychicer:20160228083622j:plain近年復元された山手門

 

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と山手渡櫓門。

 

  甲斐府中城をあとにし、宿泊先のホテルへ。

 

 オートロックですらないなんて……

 

 でも大浴場があったので満足です。ユニットバスは狭めでしたが(入ってない)

 

 そして夜は久しぶりにぼっち呑み。

 

 

かち割りジョッキ(赤ワイン)、生キャベツ甲州味噌添え、信玄鶏の生ハム風たたき、一気に来ましたわー♪

 

 何故か店員さんと乾杯♪ なかなか乙なサービスですね。

 かち割りでしたがワインウマーでした。

 

自家製ワイン豚コロッケ来ましたー

 

〆の茶漬け、甲斐サーモンで。

 

 思えばこれだけしか食べなかったのか……(キャベツは流石に食べきれなかった)

 旅行先で同行者や、現地で出会った方と呑んでみたいです。

 

 二日目に続く。