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北関東ぶらり周遊記2-2(5/29群馬沼田~埼玉行田) #真田丸 #忍城

旅行記,日記 告知

北関東ぶらり周遊記2-1(5/29群馬沼田~埼玉行田) #真田丸 #沼田城のつづき)

 

 沼田撤退後、熊谷駅から秩父鉄道に乗り換えて行田市駅へ。そして歩いて忍城へ。忍城も5年ぶりくらい?

 

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 北を利根川、南を荒川に挟まれた扇状地に点在する広大な沼地と自然堤防を生かした要害堅固な城であったことから戦国時代には関東七名城の一つである忍城。写真は天守閣ではなく模擬御三階櫓です。ちなみに「忍城の戦い」の時にはこの御三階櫓はまだありませんでした。

 

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 豊臣秀吉による関東平定(小田原征伐)の際に、成田泰季(戦中に病没)と成田長親、甲斐姫らが籠城し、石田三成率いる北国軍によって水攻めにも耐え、浅野長政真田昌幸・信繁父子ら6,000の兵の援軍到着後もその猛攻に耐え抜き、主筋の後北条家の小田原城降伏・開城まで保ちこたえました。つーかどう考えても石田方の敗因は、秀吉の作戦の拙さ(水攻めは石田三成の考案ではなく、秀吉による指示)と、浅野長政に功を奪われるのではないかと勘違いした三成の、味方の足を引っ張っているとしか思えない指揮の拙さの相乗効果だと思います。

 

 ちなみに小田原城落城まで保ちこたえた北条方の城は唯一忍城のみで、開城の際にも三成ら攻城側の提示した条件の一部に城兵や家臣たちが反発し、再び籠城の構えを見せています。この一連の忍城攻めの様子は小説(『のぼうの城』(和田竜)・『水の城 いまだ落城せず』(風野真知雄))や映画(『のぼうの城』(2012年、演:野村萬斎))をご覧になって下さい。

 

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 行田市郷土博物館の鐘楼

 

 行田市郷土博物館はそのまま忍城址模擬御三階櫓と直結しており、御三階櫓内も行田市の歴史などを紹介する博物館になっていました。

 

 そして秩父鉄道に乗って熊谷に戻り、熊谷から高崎線で帰宅。

 

 

 

 

 とまあこの時は忍城址のみの見学でしたが、やはり近くの水城公園、さきたま古墳公園、更に足を伸ばして石田堤史跡公園まで行ってみたかったです。沼田城名胡桃城とセットかな……。まあまたいずれ。