関ヶ原陣跡制覇ウォーキング参加してきました (9/24 関ヶ原) そにょ1
タイトル通り(終)
そんなわけで9月24日、関ヶ原陣跡制覇ウォーキングに参加してきました。参加コースはもちろん制覇コース。(桃配山周辺、南宮山を除く関ヶ原町内すべての陣跡制覇)
この都市は戦場だから〜♪ (@ 関ヶ原駅 in 関ケ原町, 岐阜県) https://t.co/SGqdSr3aA1 pic.twitter.com/kYy7JhdHN2
— さいきっかぁ@9/24関ヶ原陣跡制覇 (@psychicer) 2017年9月23日
関ヶ原には「聖母たちの子守唄」がよく似合う。
ちなみに前回関ヶ原訪問は3年前(2014年)の同じく関ヶ原陣跡制覇ウォーキング。2015年の年末ツアーでも来てますが、そのときはしゃぶしゃぶ喰っただけなのでノーカンってことで。
(さらにちなみに前回関ヶ原陣跡制覇ウォーキング参加時の様子。前哨戦・決選当日。やはり似たようなことやってたのね)
もう前回の日記に詳しく書いてあるから今回はこれで終わらせていいよね……
というわけにもいかないので(飽きたらそこで終了だよ)
関ヶ原駅前にある観光交流館にコインロッカーがあるということでしたが……9時から……? 今まだ8時ちょっと前だぞ……?
と思ったものの、待っている人はちらほらいましたし、「前回は早めに開けてくれ
た。市役所の方に問い合わせてみた」との話を小耳に挟み、そのまま待つことに。イベントが有るんだから、早めに開けてくれるよね?
やがて8時20分少し前に観光交流館の方が来て店を開け、無事コインロッカーに荷物を預け会場へ。
一番小さいコインロッカーは100円。
受付で参加費用1,000円を払い、コースの地図兼チェック表とペットボトルのお茶、参加賞のタオルと早期参加予約特典のステッカーを頂き、いざ関ヶ原!
行くぜ関ヶ原! (@ 関ヶ原ふれあいセンター in 不破郡関ヶ原町, 岐阜県) https://t.co/Yye5u1oFoU pic.twitter.com/nmWR269g2V
— さいきっかぁ@9/24関ヶ原陣跡制覇 (@psychicer) 2017年9月23日
ちなみに参加者は意外と女の人が多く、カップルやら若夫婦やら老夫婦やら様々でした。ウォーキングやらちょっとした登山なら初老の方のほうが得意なのかも?
朝から大砲の音がガンガン鳴り響いてました。
まず一つ目の陣跡は細川忠興陣跡。
豊臣恩顧の有力大名だったが、関ヶ原合戦では徳川家康からの誘いを受け東軍に与した細川忠興。黒田長政らと共に石田三成の本隊と激闘を演じた。
二つ目は共に羽柴秀吉を支えた偉大なる軍師、竹中半兵衛と黒田半兵衛の息子たち、黒田長政と竹中重門の陣跡がある岡山烽火台へ。
ここに行くには大きな通りを横切らなくてはいけないため、地下道を通ったのですが、階段を降りるときに膝がめちゃくちゃ痛い。あれ、もしかして安土城の石段で膝を痛めた……? まだ戦は始まったばかりだぞ……。
昨日の安土城攻略で脚を痛めたのか、実は登り降りが結構辛い
— さいきっかぁ@9/24関ヶ原陣跡制覇 (@psychicer) 2017年9月24日
と、痛い脚を引きずりながらも岡山烽火台へ。上り坂つらい……。
ここでも狼煙がバンバン上がってました。みんな早よ出陣!
竹中重門は羽柴秀吉の軍師・竹中半兵衛の嫡子で、関ヶ原の戦いでは当初西軍に与して犬山城主・石川貞清を援助していたが、徳川四天王の一人、井伊直政の仲介によって東軍に鞍替え。戦後伊吹山で西軍の武将・小西行長を捕縛するなどの大功を挙げた。当時関ヶ原一帯は竹中市の所領地だった。
黒田長政は同じく羽柴秀吉の軍師・黒田官兵衛の嫡男で、関ヶ原の戦いでは東軍の切り込み隊長として西軍に猛攻を加え、石田三成の家老・島左近清興を討ち取り、さらに西軍の小早川秀秋や吉川広家など諸将の寝返りを交渉するなどの凄まじい活躍を見せた。
脚が痛いので、これ以上案内板のところまで降りるのは無理でした……。
そして関ヶ原を大回りしてゴールである笹尾山付近の関ヶ原最後決戦地の横を抜け、スタート地点からほど近い徳川家康最後陣地へ。簡単に書いていますが、30分近く歩いています。脚を痛めているとはいえ、結構ハイペースで歩いてこれです。まだまだ若いモンには負けられんよ……(平地はぜんぜん大丈夫でした)
江雪斎さん…… 場所: 関ヶ原古戦場https://t.co/TPuf3oooAw
— さいきっかぁ@9/24関ヶ原陣跡制覇 (@psychicer) 2017年9月24日
電柱にはこういった豆知識が掲げられていました。全部読破すればだいぶ詳しくなれるかな?
案内もしっかりあるので、迷うことはない! と思う……。
金木犀香る徳川家康最後陣地。いつの間にか芝生広場になってる。 (@ 徳川家康最後陣地 in せきがはらちょう, 岐阜県, 岐阜県) https://t.co/1wGrtaAoFE pic.twitter.com/z3mcvEEAbm
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三つ目の陣跡、徳川家康最後陣地。近くには西軍の首実検を行なった床几場があります。
四つ目の陣跡は田中吉政陣跡。ここでのチェックは無し。
石田三成の天敵 (@ 田中吉政陣跡 in せきがはらちょう, 岐阜県, Gifu Prefecture) https://t.co/tzTLwpzlg2 pic.twitter.com/KxlgCqbJny
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田中吉政は秀吉の死後徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いでは東軍に属した。前哨戦の岐阜城攻略では、黒田長政・藤堂高虎とともに大垣城から岐阜城へ向かう西軍を河渡で殲滅したり、東軍勝利後、石田三成の居城である佐和山城を宮部長煕と共に搦手から突入して落城させるとともに、伊吹山中で逃亡中の三成を捕縛する大功を挙げている。
五つ目の陣跡は、おそらく駅から一番近い松平忠吉・井伊直政陣跡。直ぐ側に東首塚があります。
I'm at 東首塚 in せきがはらちょう, 岐阜県, 岐阜県 https://t.co/EWKDO1HIR3 pic.twitter.com/Demy6Iq2iY
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I'm at 井伊直政・松平忠吉陣跡 in 不破郡, 岐阜県 https://t.co/di6ymUNJKg pic.twitter.com/nDYa0Iykku
— さいきっかぁ@9/24関ヶ原陣跡制覇 (@psychicer) 2017年9月24日
松平忠吉は徳川家康の四男(秀忠の同母弟)で、関ヶ原の戦いでは舅の井伊直政の後見の元、初陣を飾って島津豊久を討ち取るなどの功をあげ、武蔵忍城10万石から清洲52万国を与えられ左近衛中将に任官した。
井伊直政は徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑の一人で、関ヶ原の戦いでは本多忠勝とともに東軍の軍監に任命され、東軍指揮の中心的存在となった。同時に全国の諸大名を東軍につける工作を行い、直政の誘いや働きかけにより、京極高次や竹中重門など、多くの西軍の将を東軍に取り込んでいる。
そしてもうひとりの徳川四天王であり、東軍の軍監である本多忠勝陣跡へ。これで六つ目。
民家の敷地内? (@ 本多忠勝陣跡 in 関ケ原町, 岐阜県) https://t.co/EKdd0roqKX pic.twitter.com/Qg5ICs1tL3
— さいきっかぁ@9/24関ヶ原陣跡制覇 (@psychicer) 2017年9月24日
藤岡弘、 本多忠勝は関ヶ原の戦いでは家康本軍に従軍した。但し、本多本隊は嫡男の忠政が率いており、忠勝は徳川本陣にあって、豊臣恩顧の武将の監視役にあったともいわれています。影武者徳川家康ェ……。
I'm at 関ケ原町立関ケ原中学校 in 関ケ原町, 岐阜県 https://t.co/JDsSI3VOYV
— さいきっかぁ@9/24関ヶ原陣跡制覇 (@psychicer) 2017年9月24日
関ヶ原中学校の敷地内にあります (@ 藤堂高虎・京極高知陣跡 in 関ケ原町, Gifu Prefecture) https://t.co/ck402athPg pic.twitter.com/KwqiMrqlZY
— さいきっかぁ@9/24関ヶ原陣跡制覇 (@psychicer) 2017年9月24日
京極高知も秀吉死後に徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いの前哨戦である岐阜城攻めや、関ヶ原の戦いでは大谷吉継隊と戦うなどの戦功を上げた。
藤堂高虎も秀吉死後に徳川家康に急接近し、関ヶ原本戦では大谷吉継隊と死闘を演じている。また、留守中の伊予国における毛利輝元の策動による一揆を鎮圧したり、更に脇坂安治や小川祐忠、朽木元綱、赤座直保らに対して、東軍への寝返りの調略を行っている。
八つ目は羽柴秀吉子飼いの武将にして、賤ヶ岳七本槍の一人、福島正則陣跡。
バナナ休憩所 (@ 福島正則陣跡 in せきがはらちょう, 岐阜県, 岐阜県) https://t.co/AapZfd3i1t pic.twitter.com/PFOfK6Ao9c
— さいきっかぁ@9/24関ヶ原陣跡制覇 (@psychicer) 2017年9月24日
石田三成憎しで東軍の先鋒となった福島正則の陣は春日神社になっています。その境内にそびえる樹齢800年の「月見の宮大杉」は関ヶ原合戦屏風にも描かれているものだとか。
松尾山 登りますか? 登りませんか?
— さいきっかぁ@9/24関ヶ原陣跡制覇 (@psychicer) 2017年9月24日
ここがまさしく運命の分かれ道、一番距離の短い合戦コース、激闘コースと、松尾山登りがある制覇コースの分岐点。先程から膝がほとんど曲がらず、歩道橋の階段昇降にすら苦労していた私は、迷わず制覇コースの松尾山方面を選びました。まあせっかく来たんだし、ここは制覇しておかないとね。
九つ目は同じく賤ヶ岳七本槍の最年長武将、脇坂安治の陣跡。東軍への内通の風聞があった小早川秀秋に備えて朽木元綱、小川祐忠、赤座直保らと共に配置されていましたが、小早川隊が大谷隊を攻撃するとそれに乗じて他の3将と共に寝返り、平塚為広・戸田勝成の両隊を壊滅させています。
賤ヶ岳七本槍の一人、脇坂安治。関ヶ原は戦前から内通していた。 (@ 脇坂安治陣跡 in Sekigahara-chō, Gifu) https://t.co/rOg8hR51Qz pic.twitter.com/sEAF7EZ5uD
— さいきっかぁ@9/24関ヶ原陣跡制覇 (@psychicer) 2017年9月24日
ただし脇坂安治は、当初から東軍に与するつもりが、大坂に滞在していたときに石田三成が挙兵したため、やむなく約1,000名の兵を率いて西軍に付いたという事情もあり、戦前に通款を明らかにしていた為、裏切り者ではなく当初からの味方と見なされ、戦後に家康から所領を安堵されています。
そしていよいよ関ヶ原陣跡制覇ウォーキング最大の難所、松尾山に登ります。果たしてこの脚で登りきれることやら……。
キンゴ~~! キンゴ~~! (CV:草◯剛)
後半があると思うなよ!(続く)