復活しました❣

 お久しぶりです。さいきっかぁです。まだ生きてます。
 
 
 色々なブログを転々としてきましたが、やはり外部連携サービスが豊富なはてブロが一番使いやすいかなと思って戻ってきました。
 
 
 ま、それはさておき。
 
 
 こちらではいつものように、もしくは今までのように旅行記や日々の氣付きなどを綴っていこうかと思ってます。Facebookから来られた方は『さいきっかぁ』ではなく『しゅんちゃん』で構いません。だんだん本名の方に統一していきます。『psychicer/さいきっかぁ』のHNを放棄する氣もないですけどね。
 
 
 それでは今後とも宜しくお願いします❣

 

 

 ちなみに2月の外出予定は
 
2月10日(月)~11日(火祝)
 彦根~安土~名古屋泊~伊勢神宮
の予定です。

生存報告

 ……まだ生きてます。

 

 今更ですが明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

 去年の正月は前日の体調不良からの元日救急車で病院に直行→インフルエンザと診断されて一週間自宅に引きこもりだったため二年詣りに行けませんでした。ちなみに今年は12月30日に武田神社躑躅ヶ崎館跡)と諏訪大社下社春宮・秋宮に、大晦日に信州松本の四柱神社に、二年詣りに信濃善光寺に、元日に信濃善光寺北向観音を両参りしてきました。その時の記事はまた後ほど。

 

 そして去年もいろいろなところに出かけてきました。まだまとめきれてないので、これも後ほど。ちなみに去年は上田には五・六回しか行ってません。

 

  今年の目標としてはやはり痩せることと、周りともっと交流を深めること、彼女を作ること。ですかね。

 

 痩せることに関しては、すでに去年の天皇誕生日から週2でコーチ付きのジムに通いはじめ、当時80kgあった体重が現在では75kg、体脂肪率も28%から26%まで落としました。まあまだ肥満体であることには変わりないのですが……(ちなみにピークは2016年2月の88.5kg)。一応目標としては年度末(3月末)までに体重70kg,体脂肪率20%、年末までに体重55~60kg、体脂肪率12~15%前後まで絞りたいですね。目指せシックスパック! 

 

 周りと交流を深めること、彼女を作ることに関してはやはり大勢の人が集まる場所に積極的に参加することでしょうか。まあその場での話題の一つ二つもなければ、ただの窓際の観葉植物とかしてしまいそうですがね。ちなみに今のところ婚活予定はありません。正直結婚願望も希薄です。早く親に孫を見せたいという願いはありますが。(既に弟夫婦の子供はそろそろ小学校高学年になる、はず)

 

 とりあえず私の趣味としては城跡&古戦場巡りやその他観光地巡り、お花見や花火鑑賞なので、これらに一緒に参加してくれる方や、どこか旅行に誘ってくれる方がいればなと思っています。

 

 今のところ今年の旅行の予定としては、

2/24~25 クラブツーリズムツアー利用

『もふもふのキツネに会いに行こう 宮城蔵王キツネ村と蔵王・神秘の樹氷林 猫の別天地・東北の猫の島 2日間』【1名様1室利用】

 

4/14~15 クラブツーリズムツアー利用

『歴史ロマン薫る天領のまち・倉敷に宿泊 白鷺城と称される「姫路城」&烏城「岡山城」 2日間』 コース情報 航空機利用 1名1室同旅行代金

 

 その他行ってみたいところとして

日光東照宮

甲府甲府城武田二十四将屋敷跡巡り~躑躅ヶ崎館跡)~小海線清里テラス・野辺山~小諸

・琵琶湖テラス~坂本、ほか

・京都(建勲神社方広寺、ほか)

・大阪~和歌山(和歌山城九度山高野山

出雲大社松江城米子城ほか

・大曲or長岡花火大会(ツアー利用?)

 

 まあ他にもいっぱいありますし、さすがに全部行けるとは思いませんが。

 

 

臨済寺特別公開 秋(摩利支天祈祷会)

大井川鐵道周遊 (10/14-15) 一日目の続き)

 

 翌10月15日は、臨済寺の特別公開に行ってきました。臨済寺は還俗し家督を継いだ今川義元が、兄氏輝を弔うために開いた寺(元は父親である今川氏親が出家した栴岳承芳【せんがくしょうほう、後の今川義元】のために太原雪斎を招き建立した寺院・善得院)で、竹千代時代の家康が、人質として預けられていたことで知られている今川家の菩提寺。境内は参観自由ですが、僧堂は修行僧の専門道場となっていて、建造物・庭園内は春と秋の年二回の特別公開日以外は非公開になっています。

 

 で、10月15日は摩利支天祈祷会が行なわれる秋の特別一般公開日でした。ちなみに春の特別一般公開日は5月19日今川義元公の命日になります。桶狭間の戦いって5月だったのか……←

 

 この日は生憎の雨でしたが、朝早くホテルを出発して臨済寺へ。

 

 特別一般公開10時からやん……

 

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 なのでとりあえず先に静岡浅間神社へ。

 

 

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 御朱印をもらってきました。

 
 そして早めに臨済寺に引き返し。

 

 

 山門の前にはすでに待機列ができていました。

 

  どうがんばれと?

 

 10時になり、ようやく開門。

 

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 境内に入り、まずは御朱印をいただきました。

 

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 臨済寺のものと、摩利支尊天の二種類。

 

 お寺の中はかなり広く、一部を除いて閲覧自由&撮影自由でした。

 

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 太原雪斎肖像画や今川三代(氏輝・義元・氏真)のご位牌、木像、竹千代君手習いの間、今川家や徳川(松平)家に関わる書状や所有物などが展示されていて、今川家・徳川(松平)家ファンならずとも歴史愛好家にとっては垂涎モノのお宝ばかりでした。ここに載せているものはほんの一部です。

 

 雨にも関わらず予想以上に混んでいたので、残念ながら茶室「夢想庵」見学は断念しました。

 

 でも昼過ぎには山門から続く行列や御朱印をいただくための行列もだいぶ短くなっていたので、次回はもっとゆっくり内部見学をしたいです。(あるいは訪問を午後にするか)

 

 次回特別一般公開日は今川義元公の命日である5月19日ですが、来年2018年5月19日は土曜日なので、また行ってのんびり見学してみたいと思います。(早くも同行者募集?)

 

 臨済寺を後にし、駿府城へ。ちょっと回り道して、大手門側から入城。

 

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 まずは巽櫓内へ。ここは写真撮影可能とのこと。

 

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 竹千代君手習いの間(復元)

 

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 駿府城本丸跡に建つ大御所時代の家康公像。ちなみに徳川家康は幼少期(竹千代時代、今川家の人質)、壮年期(五カ国時代)、大御所時代の三度静岡で暮らして

おり、幼少期、壮年期の像も静岡駅前にあります。

 

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 壮年期(五カ国時代の家康像はちょっとコミカル?)

 

  そして駿府城天守台復元工事の様子をちょこっと見学してきました。

 

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 よくはわかりませんが、着々と進んでいるようです。天守閣も建つのかな?

 

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そして最後に隣接する静岡県庁別館へ。

 

 

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  この日は日曜日だったのでここまで。本当は久能山東照宮とかにも行きたかったのですが……

 

 来月もまた、静岡に行ってきます。場所は富士宮

nobunaga-fujinomiya.jp

徹カラしてきました (10/29-30)

 10月30日に振替休日を採りましたので、かなり久しぶりに徹カラ行ってきました。徹カラどころかカラオケ自体久しぶり。場所はカラオケの鉄人大宮店。以前行っていた西新井店が無くなっていたので、大宮に行きました。

 

 そんなわけで、私が歌った歌。(カラオケの鉄人は曲選択後にJOY、DAMUGAの機種を選べますが、特別なものを除き今回は自動選択です) ☆はアニソン・アニメタイトル略

 

 

・みくみくにしてあげる♪(してやんよ)

☆あきらめないで/Little Non

サクラサクLittle Non

☆愛情◎エデュケーション/Little Non

☆素直になれない/Little Non

☆ハナマル☆センセーション/Little Non

・灼熱のファイヤーダンス/田中勝己

・ここで逢えたね/田中勝己

・i hate you./田中勝己

・i miss you./田中勝己

・i sing./田中勝己

・ずっと/そばに/いるよ /田中勝己

・Like A Hurricane/田中勝己

・知らない。/草地章江

・千本桜

Honey Come!!/小倉唯

Baby Sweet Berry Love田村ゆかり

童話迷宮田村ゆかり

☆irony/ClariS

ヒトリゴトClariS

adrenaline!!!Trysail

☆18(DAM)/カチューシャ

☆恋の歌(DAM)/カチューシャ

☆だめよ!だめよ!だめよ!!/椎名へきる

☆SPIRIT/PAMELAH

☆キライになれない/中村あゆみ 

☆光と影を抱きしめたまま/田村直美

ゆずれない願い田村直美

☆明日への勇気/吉成圭子

ミラクル・ガールズ/永井真理子

☆僕の言葉ではない これは僕たちの言葉/UVERworld

いちごコンプリート千葉紗子折笠富美子川澄綾子能登麻美子

☆あっかん berry berry/千葉紗子折笠富美子川澄綾子能登麻美子

STRAIGHT JET栗林みな実

☆僕であるために/FLYING KIDS

☆僕はもっとパイオニア横山智佐

☆恋愛の才能/横山智佐

☆徒桜/蓮花

Fantastic future田村ゆかり

極限DreamerSCREEN mode

・AZAISM/浅井三姉妹 チームA

・シズガタケの七本槍SHICHIHON槍

・敦盛2011/信長と蘭丸

ハレルヤ☆エッサイム/ガヴリール(CV:富田美憂)、ヴィーネ(CV:大西沙織)、サターニャ(CV:大空直美)、ラフィエル(CV:花澤香菜)

☆タッチ(SHOW劇クリップ) (JOY)/岩崎良美

・PERFECT HUMAN/RADIO FISH

☆Catch You Catch Me/グミ

☆Groovy!/広瀬香美

☆FRUITS CANDY/こじまめぐみ

☆プラチナ/坂本真綾

・アザイドロップ/浅井三姉妹 チームA2

only my RailgunfripSide

☆LEVEL5 -JUDGELIGHT-/fripSide

No buts!川田まみ

・千本桜

☆Shooting Star/KOTOKO

☆LOVE A RIDDLE/KOTOKO

☆行くよ?Lucky Wave/中原麻衣清水愛

☆Second Flight/KOTOKO佐藤裕美

前前前世/RADWIMS

☆なんでもないや/RADWIMS

 ・セーラー服と機関銃薬師丸ひろ子

☆夢冒険/酒井法子

鳥の詩Lia

・学園天国(SHOW劇クリップ) (JOY)/小泉今日子

Scarlet Ballet/May'n

・聖母(マドンナ)たちのララバイ(子守唄)/岩崎宏美

☆渚の『・・・』/うしろゆびさされ組

秘密ドールズ中原麻衣清水愛

Get Wild/TM Netwok

☆STILL LOVE HER(失われた風景)/TM Network

innocent starter水樹奈々

ETERNAL BLAZE水樹奈々

・Rescue me/Every Little Thing

・どんなときも。/槇原敬之

・冬がはじまるよ/槇原敬之

☆プリンセスはあきらめない/FLIP FLAP

☆キミのアシタ/FLIP FLAP

明日があるさRe:Japan

 

 6時間(23:00~5:00)トイレ休憩無しで歌い続けました。普段一時間おきくらいでトイレに行く私がよく我慢できたもんだ……

 

 

 とりあえず今回の徹カラで気付いたこと

adrenaline!!!二番以降があった(初めてフルで聞いた)

ガヴリールドロップアウトが入ってなかった(歌う気もなかった) アニメタイトルで探しても無かった。

・ナイトパック(フリータイム)が23:00からではなく22:00からだった(店舗によって違います)

・SHOW劇クリップの種類がだいぶ無くなってた(ムーンライト伝説やラムのラブソング、地上の星など)

・だいぶ曲を忘れてたし、滑舌が曲に追いつけなくなってきてた。せめて「PERFECT HUMAN」をパーフェクトに歌えるくらいじゃないと(無理です

 今回は意識してアニソン以外も少し多めに散りばめています。まあ田中勝己さんはただ好きなだけですが。それにしても田中勝己さんの曲、カラオケにすると一部の曲はあんなにテンポが遅くショボくなるのか……

 

 とりあえずまた暇を見つけて徹カラ行きたいです。

 

大井川鐵道周遊 (10/14-15) 一日目

 10月14日、大井川鐵道に乗車してきました。東京から新幹線で静岡へ。静岡から東海道線に乗り換えて金谷駅へ。この経路だと静岡で途中下車できないのね……。

 

 そんなわけで。

 

 

 

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 一日だけなので二日間有効の「大井川周遊きっぷ」を買うまでもないと思っていたのですが、大井川本線井川線を往復する、路線バスにも乗ることを考えると、周遊きっぷを買ったほうが断然お徳だったようです。教えてくれた駅員さんに感謝です♪

 

 車窓から見える大井川の川原が素晴らしい景色でしたが、外は生憎の小雨模様……。

 

 千頭駅に着き、井川線に乗り換え。

 

 

 乗り換え時間が短い中、トイレに行ったあと大井川本線の中に傘を置き忘れたことに気付いてダッシュで取りに戻り、なんとか乗り換え成功。

 

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 そしてアプトいちしろ駅にていよいよアプト式機関車を連結。

 

 

 これで90‰という急勾配を登る動力を得ています。

 

 ちなみに信越本線の横川駅~軽井沢駅間が廃線となった今、現役のアプト式が残るのはここ大井川鐵道井川線アプトいちしろ駅長島ダム駅間のみだそうです。

 

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  帰りに撮ったので逆方向ですが。

 

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 そして第一の目的地、奥大井湖上駅へ。

 

 この駅は文字通り湖の上にあります。(実際は湖に突き出た半島のような部分)

 

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 橋梁部分を歩いて駅の外へ。

 

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 橋上の線路はこんな感じ。

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 てくてくてくてく。

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 ここを歩いてきました。ここからでもいい眺め。

 

 

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 写真を数枚撮ったあとバス停には行かずに再び奥大井湖上駅へ。(千頭駅へはバスのほうが早いが、混んでると見た)

 

 

  ここも降りてダムを目の前で見たい。

 

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 千頭駅に着き、バスに乗り換えて次の目的地へ。

 

 雨ひどいよー。

 

 目的地まではここからさらに20分ほど歩きます。

 

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 ……てんこ?

 

  着きました。雨が降ってるので人はまばら。

 

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 とはいえ歩ける幅が狭く、相互通行っぽいので、なかなか渡れない。こんなところ大人数で来る場所じゃないし、ましてやツアーで来る場所じゃない。

 

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 ましてや一度に渡れるのは最大10人まで。アンガールズの田中でもマツコ・デラックスでも10人まで。重量制限は?

 

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 とりあえずおっかなびっくり渡ってみます。結構揺れます。手放しでも渡れるくらいの揺れですが、足場が狭いのでバランス感覚が必要です。動画撮ればよかったかな?

 

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 足元はこんな感じ。結構高さがあります。

 

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 ゆりゆるゆれゆら

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 周りはこんな感じ。雨が降っていたので、エメラルドグリーンが濁っています。

 

 

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 ようやく渡りきりましたが、案内板にあったこの奥のやれやれどころとエッチなえっちら階段は通行止めになっていました。なのでそっこー引き返し。

 

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 行きはよいよい帰りは……

 

 このあと来た道を引き返し、宿泊先の静岡へ。

 

 大井川鐵道、沿線も駅も、もちろん電車も見どころいっぱいでした。今度は寸又峡温泉なり周辺に宿泊して、二日がかりで楽しんでみたいです。

 

 

関ヶ原陣跡制覇ウォーキング参加してきました オマケ

 関ヶ原陣跡制覇ウォーキング コースマップ

 

 私が歩いたのは制覇コース。

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   ラリーカードのコース別スタンプ欄。すべての陣跡を廻ったので、もちろんスタンプも全部揃ってます。

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 各チェックポイントでチェックスタンプとともに頂いた武将の千枚札(順不同)、東軍

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 武将の千枚札(順不同)、西軍+参加賞千枚札(島津豊久)+オリジナル完歩証(島津義弘)。常盤御前は除外しました。

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 結局関ヶ原陣跡制覇ウォーキングは何時から始まって、この回は何回目だったんだろう……?

 

 

関ヶ原陣跡制覇ウォーキング参加してきました (9/24 関ヶ原) そにょ2

関ヶ原陣跡制覇ウォーキング参加してきました (9/24 関ヶ原) そにょ1の続き)

 

 そんなわけで。

 

 膝がほとんど曲がらない脚を引きずりながらアップダウンの激しい松尾山へ。待ってろ金吾!

 

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 途中休憩を挟みながら40分ほど掛けて松尾山山頂にある小早川秀秋陣跡に到着。ここが10番目の陣跡。もう私の膝下より高い土段とか何なの……こんな膝でよく登ってこれたな私……。

 

 写真なんか撮ってる余裕はなかったので、 途中経過はなしです。

 

 なんか灰が降ってきてるな……と思ったら、ここでも狼煙を上げておりました。わかったよ、内府。ボク、刑部の陣に吶喊するよ!

 

 小早川秀秋豊臣秀吉の正室・高台院の甥であり、れっきとした秀吉の親族。関ヶ原の戦いでは当初、15,000の軍勢を率い、関ヶ原の南西にある松尾山に陣を敷いていた伊藤盛正を追い出してそこに布陣した。午前中こそ西軍優勢の戦場を傍観していたものの、秀秋は最終的には家康の催促に応じ、松尾山を下り、西軍の大谷吉継の陣に攻めかかった。この離反によって連鎖的に脇坂安治・朽木元綱・小川祐忠・赤座直保らの離反を生じさせ、大谷吉継を討ち取った。

 これにより大勢は決し、夕刻までに西軍は壊滅、東軍の勝利となった。

 

 

 こんな特等席から主戦場を見下ろしていたら、たしかに東軍西軍どちらにつくか若い金吾くんは大いに迷うでしょうけど、ちょっと主戦場からは遠く離れてるような気が。

 

 ちょうどお昼時だったということもあり、皆さん眺めのいい場所に陣取ってお弁当を広げたりしていました。どうせなら南宮山でお弁当を食べたかった……。

 

 

 さて、山を登ったら当然下りなくてはいけません。はっきり行って登りより下りのほうがつらいです。最初右膝だけだった痛みは左膝の方にもキてましたからね。

 

 もう恐る恐るといった感じでゆっくりと松尾山を下山。こんなんじゃ関ヶ原の戦い終わっちゃうよ!

 

 松尾山を無事下山してからもまたかなり大回りをして、次なるチェックポイントへ。

 

 とその前に。

 

  関ヶ原の戦いとは一切関係ありませんが。

   

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 常盤御前の墓前がチェックポイント兼休憩所になってました。

 

https://www.instagram.com/p/BZaMFxVHa7L/

昭和だねぇ……

 

 11番めの陣跡は大谷吉継陣跡。

 

 

  刑部様が見てる。

 

 会津征伐に向かう途中で石田三成の居城である佐和山城に立ち寄った大谷吉継は、ここで親友の石田三成に家康に対しての挙兵を持ちかけられた。これに対して吉継は「無謀であり、三成に勝機なし」と説得するが、三成の固い決意を知り熱意にうたれると、敗戦を予測しながらも息子達と共に三成の下に馳せ参じ西軍に与した。

  関ヶ原では東軍の藤堂高虎京極高知両隊を相手に奮戦し、正午頃、松尾山に布陣していた小早川秀秋隊15,000人が東軍に寝返り大谷隊を攻撃してきたときも、初めから小早川隊の謀叛に備えていた直属の兵600で迎撃し、更に前線から引き返した戸田勝成・平塚為広と合力して、兵力で圧倒する小早川軍を2,3回と繰り返し山へ追い返す活躍を見せた。

 しかし吉継が追撃を仕掛けたところへ、秀秋の裏切りに備えて配置していた脇坂・朽木・小川・赤座の4隊4200人が東軍に寝返り突如反転、大谷隊に横槍し、大谷隊は防御の限界を超えて壊滅、吉継は自害した。

 

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  隣には大谷吉継介錯し、その首を地中深くに埋めた湯浅五助の墓があります。大谷吉継の墓は合戦後間もなく藤堂家によって建立されたもので、湯浅五助の墓は、大正5年に五助の子孫によって建立されたもの。

 

 

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 平塚為広碑はコースから少し外れるうえに、チェックスタンプがなかったので、知る人ぞ知るポイントになってました。

 

 平塚為広は大谷吉継とともに石田三成に還元したが、聞き入れられずに西軍に与することになった武将。関ヶ原本戦では大谷吉継隊に属して前備え360人を率い藤川の台に布陣、予想通り裏切った秀秋の部隊相手に奮戦し数度撃退したが、脇坂安治らの裏切りや藤堂隊、京極隊の攻撃に持ちこたえることができず壊滅状態になった。為広はなおも孤軍奮闘したが、山内一豊の家臣樫井太兵衛に討たれた。碑は昭和15年9月15日に為広の子孫が建立したもの。

 

 12番めの陣跡は、西軍の主力である宇喜多秀家陣跡。

 

 

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  宇喜多秀家関ヶ原の戦いにおいて西軍主力(西軍の中では最大の17,000人)として戦い、東軍の福島正則隊と戦闘を繰り広げた。しかし同じ豊臣一門である小早川秀秋の裏切りで西軍は総崩れとなり、宇喜多隊は壊滅した。

 関ヶ原敗戦後、秀家は伊吹山中に逃れた後、変装して薩摩国島津義弘などを頼って落ち延び、牛根郷(現在の鹿児島県垂水市)に匿われましたが、「島津氏が秀家を庇護している」という噂が広まったため、慶長8年(1603年)に島津忠恒(義弘の子)によって家康のもとへ身柄を引き渡され、駿河国久能山へ幽閉後、八丈島へ配流となっています。享年83(1572-1655)。関ヶ原を戦った大名の中では、最も遅くに没した人物で、このとき既に江戸幕府第4代将軍・徳川家綱の治世でした。(ちなみに関ヶ原合戦には参加していないが、真田信之は享年91(1566-1658)、松平忠輝は享年92(1592-1683)。当時の苦労人は結構長生きしてます。)

 

 13番目、文禄・慶長の役の際、加藤清正と先陣を争ったことでも有名なキリシタン大名小西行長の陣跡。開戦地のすぐ近くにあります。

 

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 小西行長は、秀吉の死後、寺沢広高とともに徳川家康の取次役を勤めるなど、むしろ家康との距離を近づけているが、家康による会津征伐に際しては上方への残留を命じられた。その後に起こった関ヶ原の戦いでは、石田三成に呼応し西軍の将として参戦する。

 9月15日の関ヶ原本戦では、東軍の田中吉政、筒井定次らの部隊と交戦して奮戦する。しかし小早川秀秋らの裏切りで大谷吉継隊が壊滅すると、続いて小西隊・宇喜多隊も崩れ、行長は伊吹山中に逃れた。

 のちに市中引き回しの後、六条河原において石田三成安国寺恵瓊と共に斬首された。

 

 そしてそのすぐ近くにある関ヶ原古戦場開戦地。

 

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  開戦のきっかけは、通説では井伊直政松平忠吉らが物見と称して、福島隊の猛将可児才蔵を騙して宇喜多隊に発砲したとされていましたが、実際は霧の中での偶発的な遭遇戦であり、戦闘開始はそれに続く福島正則体が宇喜多秀家隊に向けた銃撃戦。……この場所から最も近い場所に陣を構えていた小西行長は?

 

 そしてここから少し離れるものの、かろうじて見える範囲にある島津義弘陣跡。14番目。

 

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 家康から援軍要請を受けて1,000の軍勢を率い、鳥居元忠が籠城する伏見城の援軍に馳せ参じるものの、元忠が家康から義弘に援軍要請したことを聞いていないとして入城を拒否したため、当初の意志を翻して西軍への参戦を決意。

 しかし諸々あって戦意を失っていた島津隊は参陣こそすれ戦場で兵を動かそうとせず、小早川秀秋隊の裏切りによって西軍が壊滅・敗走を始めた結果、退路を遮断され敵中に孤立。伊勢街道からの撤退を目指して、捨て奸(すてかまり)と言われる、何人かずつが留まって死ぬまで敵の足止めをし、それが全滅するとまた新しい足止め隊を残すという壮絶な戦法を用いて敵中突破を敢行、甥・豊久や義弘の家老・長寿院盛淳らなどの多大な犠牲があったものの、義弘は立花宗茂らと合流し、共に海路から薩摩に逃れることができたそうです。

 

 いよいよゴールが近づいてきました。

 

  両軍合わせて15万とも云われる関ヶ原の戦いで、最大の激戦となったのがこの決戦地一帯です。

 

 そしてラスト、15番目の陣がある悪の巣窟笹尾山へ。

 

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 つかまた山に登らにゃあかんのか……石田三成が来い。

 

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 島左近陣跡はチェックポイントではありませんが……

 

 島左近は三成に三顧の礼をもって迎えられ破格の高禄を食む側近として仕え、「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの逸材で、関ヶ原前哨戦の杭瀬川の戦いでは明石全登隊と共に勝利したものの、その夜に島津義弘小西行長らと共に提案した夜襲は、三成に受け入れられずに終わった。

 関ヶ原の戦い本戦においては、最初は西軍有利に進み、左近も自ら陣頭に立った。しかし正午過ぎ、小早川秀秋の東軍寝返りを皮切りに西軍は総崩れとなり、敵の銃撃により討ち死した。

 最期の折の勇猛さ・狂気じみた左近の奮戦ぶりは東軍諸将のあいだでも語り草となった。特に左近を討ち取った黒田長政軍の兵士たちは関ヶ原から数年が過ぎても戦場での悪夢にうなされ、夢枕で左近が発した「かかれぇーっ!」の声を聞いて恐怖のあまり布団から飛び起きたとの俗説が伝わるほどである。いしだみつにゃんにしまさこにゃん……。

 

 そしてヒイコラ言いながら最後の力を振り絞って笹尾山の土段を登り(坂道より階段のほうがツラい)、ようやく山頂にある西軍総大将、石田三成陣跡へ。

 

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 やはり山の上は見晴らしがいいです。治部のくせに生意気だ。

 

 さて、登った山は下りなきゃいけません。膝が曲げにくいほどに痛いと、坂道より階段のほうがツラいんです。

 

 手すりにつかまりながらようやく土段を下りきると、麓では武将隊による演劇&演舞が行われてました。

 

 

 私が笹尾山についた十数分後に始まるというのは知ってたよでも演舞が全部終わってからこの脚で笹尾山を昇り降りしてたらゴール最終時間過ぎちゃうと思ったから先に笹尾山に登ったんだよもっとも全部見る気はなかったけどね。

 

 武将隊の演舞は久しぶりだったので、本当は最初からちゃんと見たかったのですが……。

 

 それはともかく、すべての陣跡を廻り終わり、ゴールのスタンプを押してもらいました。現在チェックシートが手元にないため、後ほど各チェックポイントで配布された千社札とともにアップロードします。

 

  

 まさかこんなことになるとは想像もしていませんでしたが、とにかく16km完歩することができました! とは言えこれで膝の痛みが消えるわけでもなく……。

 

 在来線では流石に座ることは出来ませんでしたが、名古屋からの新幹線は普通に指定席を取って座って寝ながら帰りました。階段の昇り降りが出来ずに、全てエスカレーターやエレベーターを使ったことは言うまでもありません。

 

 とはいえ久しぶりの関ヶ原陣跡制覇ウォーキング、楽しかったです。各武将の陣跡を線で結んだだけの、ウォーキングコースは進軍に関係なく説明も各陣跡に設置された文章だけですが、ウォーキングイベントとしては楽しかったです。

 

 あとはまあ普通に関ヶ原ウォーランドとか伊吹山、エコミュージアム関ヶ原関ヶ原鍾乳洞、桃配山や南宮山、不破の関にも行ってみたいです。駅から遠いですが。

 

https://www.instagram.com/p/BZaf8RqHLXI/

間違ってはいない

 

 

  

https://www.instagram.com/p/BZazKE_HIEV/

名古屋の駅弁、ひれ味噌かつ重いただきます

 

 

 

 来たる11月4日(土)に歴史タレントの小栗さくらさんが「小栗さくらの語りで巡る♪ 関ヶ原古戦場ウォーキング」というツアーのガイドをされるようです。さすがに関ヶ原陣跡制覇ウォーキングみたいに全部の陣跡を廻るわけではないですが、関ヶ原の戦いをストーリーを交えて語り、関ヶ原古戦場をガイドしてくれるそうなので、興味のある方は是非参加してみてください。私はもう予定があるので参加できませんが。

 

 その他10月14日・15日には関ヶ原合戦祭り2017が行われるようです。興味のある方は是非!

www.kanko-sekigahara.jp

 

 私はその日は静岡の臨済寺特別公開(年二回のみ)に行ってきます。

www.surugawan.net

 

 

関ヶ原陣跡制覇ウォーキング参加してきました (9/24 関ヶ原) そにょ1

 タイトル通り(終)

 

 そんなわけで9月24日、関ヶ原陣跡制覇ウォーキングに参加してきました。参加コースはもちろん制覇コース。(桃配山周辺、南宮山を除く関ヶ原町内すべての陣跡制覇)

 

 まずは彦根駅から関ヶ原駅へ。

 

  関ヶ原には「聖母たちの子守唄」がよく似合う。

 

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 ちなみに前回関ヶ原訪問は3年前(2014年)の同じく関ヶ原陣跡制覇ウォーキング。2015年の年末ツアーでも来てますが、そのときはしゃぶしゃぶ喰っただけなのでノーカンってことで。

 (さらにちなみに前回関ヶ原陣跡制覇ウォーキング参加時の様子。前哨戦決選当日。やはり似たようなことやってたのね)

 

 もう前回の日記に詳しく書いてあるから今回はこれで終わらせていいよね……

 

 

 

  というわけにもいかないので(飽きたらそこで終了だよ)

 

 関ヶ原駅前にある観光交流館にコインロッカーがあるということでしたが……9時から……? 今まだ8時ちょっと前だぞ……?

 

 と思ったものの、待っている人はちらほらいましたし、「前回は早めに開けてくれ

た。市役所の方に問い合わせてみた」との話を小耳に挟み、そのまま待つことに。イベントが有るんだから、早めに開けてくれるよね?

 

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 やがて8時20分少し前に観光交流館の方が来て店を開け、無事コインロッカーに荷物を預け会場へ。

 

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 一番小さいコインロッカーは100円。

 

 受付で参加費用1,000円を払い、コースの地図兼チェック表とペットボトルのお茶、参加賞のタオルと早期参加予約特典のステッカーを頂き、いざ関ヶ原

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 ちなみに参加者は意外と女の人が多く、カップルやら若夫婦やら老夫婦やら様々でした。ウォーキングやらちょっとした登山なら初老の方のほうが得意なのかも?

 

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 朝から大砲の音がガンガン鳴り響いてました。

 

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 関ケ原町歴史民俗資料館の倉庫も当然関ヶ原仕様。

 

 まず一つ目の陣跡は細川忠興陣跡。

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  豊臣恩顧の有力大名だったが、関ヶ原合戦では徳川家康からの誘いを受け東軍に与した細川忠興黒田長政らと共に石田三成の本隊と激闘を演じた。

 

 二つ目は共に羽柴秀吉を支えた偉大なる軍師、竹中半兵衛と黒田半兵衛の息子たち、黒田長政と竹中重門の陣跡がある岡山烽火台へ。

 

 ここに行くには大きな通りを横切らなくてはいけないため、地下道を通ったのですが、階段を降りるときに膝がめちゃくちゃ痛い。あれ、もしかして安土城の石段で膝を痛めた……? まだ戦は始まったばかりだぞ……。

 

 

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 と、痛い脚を引きずりながらも岡山烽火台へ。上り坂つらい……。

 

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 ここでも狼煙がバンバン上がってました。みんな早よ出陣!

 

 竹中重門は羽柴秀吉の軍師・竹中半兵衛の嫡子で、関ヶ原の戦いでは当初西軍に与して犬山城主・石川貞清を援助していたが、徳川四天王の一人、井伊直政の仲介によって東軍に鞍替え。戦後伊吹山で西軍の武将・小西行長を捕縛するなどの大功を挙げた。当時関ヶ原一帯は竹中市の所領地だった。

 黒田長政は同じく羽柴秀吉の軍師・黒田官兵衛の嫡男で、関ヶ原の戦いでは東軍の切り込み隊長として西軍に猛攻を加え、石田三成の家老・島左近清興を討ち取り、さらに西軍の小早川秀秋吉川広家など諸将の寝返りを交渉するなどの凄まじい活躍を見せた。

 

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 脚が痛いので、これ以上案内板のところまで降りるのは無理でした……。

 

 そして関ヶ原を大回りしてゴールである笹尾山付近の関ヶ原最後決戦地の横を抜け、スタート地点からほど近い徳川家康最後陣地へ。簡単に書いていますが、30分近く歩いています。脚を痛めているとはいえ、結構ハイペースで歩いてこれです。まだまだ若いモンには負けられんよ……(平地はぜんぜん大丈夫でした)

 

 電柱にはこういった豆知識が掲げられていました。全部読破すればだいぶ詳しくなれるかな?

 

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 案内もしっかりあるので、迷うことはない! と思う……。

 

 

 三つ目の陣跡、徳川家康最後陣地。近くには西軍の首実検を行なった床几場があります。

 

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 四つ目の陣跡は田中吉政陣跡。ここでのチェックは無し。

 

 田中吉政は秀吉の死後徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いでは東軍に属した。前哨戦の岐阜城攻略では、黒田長政藤堂高虎とともに大垣城から岐阜城へ向かう西軍を河渡で殲滅したり、東軍勝利後、石田三成の居城である佐和山城を宮部長煕と共に搦手から突入して落城させるとともに、伊吹山中で逃亡中の三成を捕縛する大功を挙げている。

 

 五つ目の陣跡は、おそらく駅から一番近い松平忠吉井伊直政陣跡。直ぐ側に東首塚があります。

 

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  松平忠吉徳川家康の四男(秀忠の同母弟)で、関ヶ原の戦いでは舅の井伊直政の後見の元、初陣を飾って島津豊久を討ち取るなどの功をあげ、武蔵忍城10万石から清洲52万国を与えられ左近衛中将に任官した。

 井伊直政徳川四天王徳川十六神将・徳川三傑の一人で、関ヶ原の戦いでは本多忠勝とともに東軍の軍監に任命され、東軍指揮の中心的存在となった。同時に全国の諸大名を東軍につける工作を行い、直政の誘いや働きかけにより、京極高次や竹中重門など、多くの西軍の将を東軍に取り込んでいる。

 

 そしてもうひとりの徳川四天王であり、東軍の軍監である本多忠勝陣跡へ。これで六つ目。

 

 藤岡弘、 本多忠勝関ヶ原の戦いでは家康本軍に従軍した。但し、本多本隊は嫡男の忠政が率いており、忠勝は徳川本陣にあって、豊臣恩顧の武将の監視役にあったともいわれています。影武者徳川家康ェ……。

 

 そこから長駆して七つ目の藤堂高虎京極高知陣跡へ。

 

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  京極高知も秀吉死後に徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いの前哨戦である岐阜城攻めや、関ヶ原の戦いでは大谷吉継隊と戦うなどの戦功を上げた。

 なお京極高知淀君の妹、初の夫である京極高次の弟です。

 藤堂高虎も秀吉死後に徳川家康に急接近し、関ヶ原本戦では大谷吉継隊と死闘を演じている。また、留守中の伊予国における毛利輝元の策動による一揆を鎮圧したり、更に脇坂安治や小川祐忠、朽木元綱、赤座直保らに対して、東軍への寝返りの調略を行っている。

 

 八つ目は羽柴秀吉子飼いの武将にして、賤ヶ岳七本槍の一人、福島正則陣跡。

 

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 石田三成憎しで東軍の先鋒となった福島正則の陣は春日神社になっています。その境内にそびえる樹齢800年の「月見の宮大杉」は関ヶ原合戦屏風にも描かれているものだとか。

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 ここがまさしく運命の分かれ道、一番距離の短い合戦コース、激闘コースと、松尾山登りがある制覇コースの分岐点。先程から膝がほとんど曲がらず、歩道橋の階段昇降にすら苦労していた私は、迷わず制覇コースの松尾山方面を選びました。まあせっかく来たんだし、ここは制覇しておかないとね。

 

 

 九つ目は同じく賤ヶ岳七本槍の最年長武将、脇坂安治の陣跡。東軍への内通の風聞があった小早川秀秋に備えて朽木元綱、小川祐忠、赤座直保らと共に配置されていましたが、小早川隊が大谷隊を攻撃するとそれに乗じて他の3将と共に寝返り、平塚為広・戸田勝成の両隊を壊滅させています。

 

 

 ただし脇坂安治は、当初から東軍に与するつもりが、大坂に滞在していたときに石田三成が挙兵したため、やむなく約1,000名の兵を率いて西軍に付いたという事情もあり、戦前に通款を明らかにしていた為、裏切り者ではなく当初からの味方と見なされ、戦後に家康から所領を安堵されています。

 

 そしていよいよ関ヶ原陣跡制覇ウォーキング最大の難所、松尾山に登ります。果たしてこの脚で登りきれることやら……。

 

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 キンゴ~~! キンゴ~~! (CV:草◯剛)

 

 後半があると思うなよ!(続く)

 

原点回帰 (9/23 彦根・安土攻略) 安土城

原点回帰 (9/23 彦根・安土攻略) 彦根城の続き)

 

 彦根を後にし、次なる目的地である安土へ。前回安土訪問は2013年9月なので4年振り4回目くらい。

 

 安土駅は拡張修復工事をやっていたらしく、駅前の第六天魔像は見ることができませんでした。

 

 そして安土駅前に沢山あるレンタサイクルショップで自転車を借り、もらった地図を辿って安土城へ。

 

  永楽通寶の刀の鍔……

 

 

 入り口で入場料+摠見寺特別拝観料1,200円を払い、御朱印帳と御朱印代(2種類600円)をあずけて入場。

 

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 はじめは幅が広く、緩やかな石段です。

 

 

 そして摠見寺の特別拝観場所がある伝徳川家康邸跡へ。

 

 

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 建物内は一部を除き撮影可能でした(確認済み) 

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 お抹茶と和菓子をいただきました。

 

 そして再び安土城攻め

 

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 織田信長次男で、本能寺の変後に安土城に入ったものの、失火で安土城を焼失させるなど、信長の息子なのに無能と名高い織田信雄一族の供養塔がありました。

 

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 天主跡着きましたわー♪

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  天主台付近からの眺め。

 

 少し休憩してから、一気に下ります。

 

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 入口に戻り、御朱印帳を回収してから退城。

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 再び自転車に乗り、次なる目的地へ。

 

 

 ここには1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展された原寸大の安土城天主(5・6階部分)が展示されています。

 

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 続いて駅近くの安土城郭資料館へ。

 ここには20分の1スケールで再現された幻の名城”安土城”や、屏風絵風陶磁版壁画などが展示されています。

 

 

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 安土城の天主閣は吹き抜け構造だったようです。

 

 その後自転車を返却し、安土駅から再び彦根へ。この日は彦根泊でした。

 

  

https://www.instagram.com/p/BZYM6CQHw7-/

ひこどらいただきます。

 

https://www.instagram.com/p/BZYfBTyHECX/

彦根城入場証(無料配布)とお城カード(200円)

 

https://www.instagram.com/p/BZYjdtQncYr/

安土城址で摠見寺の御朱印いただいてきました

 

  24日に続く

 

原点回帰 (9/23 彦根・安土攻略) 彦根城

 前のブログからだいぶ時間が開いてしまいました。旅行記も溜まりすぎて、ほぼ一ヶ月以上溜まってます。(前ブログの諏訪湖祭湖上花火大会除く) 移転前の記事も移動したいし……。まあのんびりやっていきますが。

 

 閑話休題

 

 9月23日は、戦国時代激動期の中心だった近江国東部に行ってきました。まあタイトルに有るように彦根城安土城を攻略してきたわけですが。

 

 原点回帰というのは、私が城攻めを意識してから初めて行ったお城がこの彦根城安土城だからです。初登城が2009年3月だからまだ8年しか経ってないのか……。もちろん幼少のみぎりによく散歩に行っていた小山城や、本籍地の近くにあった小諸城、観光に行った松本城名古屋城は除きます。

 

 そんなわけでいつものように新幹線で東京から名古屋で乗り換えて米原へ。更にそこから普通電車に乗り換えて彦根へ。

  前回彦根訪問は平成27年7月19日でした。

 

I'm at いろは松 in 彦根市, 滋賀県 https://t.co/7aTJ6u4bXY pic.twitter.com/pSG5QYRlsj— さいきっかぁ@9/24関ヶ原陣跡制覇 (@psychicer) 2017年9月23日

 

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 築城410年祭+『女城主 井伊直虎』効果なのか、だいぶ整備されていました。

 

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 ひこにゃん登場まで約20分。登城するにはまだ早い。(最近のひこにゃんは、本丸横ではなく博物館前に登場するようです)

 

 なのでまずは彦根城博物館へ。障害者なので入場料は免除。(付添一名まで無料?)

 

  なかなか良心的な博物館でした。

 

 ところでこの兜の金の角?は兜の前に付いていますが、井伊直政の兜の金の角は兜部分から直接生えています。それが総大将のみに許された兜だったようです。

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 彦根城博物館彦根藩の表御殿(復元)とつながっていました。

 

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 そして再び博物館ゾーンへ。

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 彦根城ご来場50万人目おめでとうございます!!

 

 そしてひこにゃんが登場する予定の場所へ。

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 結構人が集まってきています。

 

 

  ひこにゃんかわいいよひこにゃん

 

  ゆるすぎてもはや幼稚園児のお遊戯レベル。でもカワイイから許す。お兄さんの説明もなかなか面白いです。たしかにあれを30分はキツいわw

 

  お姉さんにブラッシングしてもらったあともひこにゃんはゆるゆるパフォーマンスを続けていましたが、時間の関係で私も退席。早速彦根城へ。

 

 こちらももちろん入城料免除になりました。

 

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 いざ彦根城天守閣へ。

 

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 廊下橋に接続する櫓門部分を中央に、両坂道(表門側と大手門側)に面している多聞櫓の角を二重櫓とすることで左右対称となっていることが天秤櫓の名の由来だそうです。長浜城大手門を移築したものと伝えられ、建物土台の石垣は、右側が築城当時の打ち込みハギ積み、左側が江戸後期の改修による落し積みとなっているそうです。国重要文化財

 

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 天秤櫓内から廊下橋を見下ろす。廊下橋は戦のときには落とされるようです。

 

 

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 太鼓門櫓。城内合図の太鼓が置かれていた。ここをくくればもうすぐ天守閣。

 

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 そんなわけで、国宝彦根城天守 附櫓及び多聞櫓到着ぅ~♪

 

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 この天守も実は大津城のリサイクル品(移築)。完成は慶長12(1607)年頃。

 

 早速天守閣内へ。

 

 

  ミニスカートで現存天守の急階段を上ることが流行ってるの? 何故かスカート姿の女の人が多かったような気がしましたが(困惑) 一応写真撮影禁止ではなかったような気がしますが(確認はしてません) いやおにゃのこのスカートの中は撮影禁止だからね?

 

 そして西の丸方面に向かい、西の丸三重櫓へ。

 

 

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 櫓内から天守閣方面を眺める。

 

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 出曲輪方面から黒門方面に抜け、玄宮園には寄らずに旧木俣屋敷方面へ。

 

 

 彦根駅に戻り、次なる目的地である安土へ。(続く)